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太宰治 「走れメロス」 
 簡潔に述べるとするなら、真実=(信用)は目に見えないものだが確かに存在する(妄想ではない)ということだ。
 
 この本の内容を自分なりにまとめた後に、書評を調べてた。やはり、ほぼ同内容であったが、確認できなかった内容に関して以下述べることにする。
 
 まず、このメロスは親友を国王に身代わりとして引き渡したことである。これは心には善と悪が常に存在していると太宰治は述べたいのではないだろうかと考えさせられた。「走れメロス」でいえば、善は真実であり、悪は裏切りである。本文で記述されていたように、メロスの衣服がぼろぼろになり、ほぼ裸になる比喩の中で人の心の真実を太宰は描いていたと信じている。途中でメロスは肉体的、精神的苦痛から親友を裏切りそうになるのだが、最初から裏切る可能性を視野に入れていたのではないだろうか。人間の狡猾さを描いているとまでは言わないが、あまつさえ、メロスが親友を勝手に身代わりとしたのに、身代わりとして殺せとまで最初にいった内容を記述するところから推測できるだろう。常に人間の中には悪も潜んでいると考えさせられた内容であった。
 次に、変わった視点だが、王が人間不信である設定に現社会の人と付き合っていく中で信用を勝ち取ることの難しさを感じた。(それはないよと叱咤されそうだが・・)昔と違い、隣人の名前や素顔すら知らないことが当たり前になりつつある世の中で信頼を得ることが難しい時代となっている。嘘や裏切りが蔓延る社会で人を信頼するということがかなり難しい。そして、なにより自分を信頼して頂くことも非常に難しいのである。人の眼が肥えた中では、少しのマイナスでも命取りとなってしまう。考えすぎであると水を差されそうだが、そうしていかなければ生きていけない現状がある。この視点をもって走れメロスを再読してみれば面白いのではないだろうか。

 一度、受験期に簡単に読んだことがあるが、丁寧に読むと楽しめた方ではある。しかし、満足できる程の感動は得られなかった。信用は難しい。家族にも裏切られることが耳に入るこの世の中では、運なのか確率なのだろうか。

 最後に、流し読みした記事の中で少女が緋のマントをメロスに捧げた内容について、蛇に足がついている内容とした記述がちらほら見受けられた。太宰治を知り、太宰先生ならと考えるべきだ。しかし、人は時にいつもと違うことをしてみたいと思うときがある。だから、私見としては無垢な少女が勇者に捧げる緋のマントを捧げることにより、人間の悪の部分を覆い隠したかったのだろうかと考えている。太宰治らしい本ではないのでこのような考え方も有りなのでは?!
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