スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
共感への不信
 人間の大半が活動し始める少し前に目覚めてしまった。手持ち無沙汰で、ネットの海に身を委ねていたのだが、何をするということもなく、無駄な時間を過ごしていた。そして、ふと目に入ったのが太宰治の人間失格である。幼い頃から本を読むことは人生を豊かにするといわれ、読み進むようにと苦言を提されていたのだが、私にとってたばこの煙であった。幼い頃から私は興味をそそられたものにしか反応を示さない性格を備えている。そして、それに対しては常に専門で、人の上に存在していたいという願望を持つものであったのだが、どうも周りの人間から命令されるとやる気が霧散してしまうのである。これを理由にして勉学をしなかったということを否定するつもりはない。本を読むという行為をしてこなかった私が、久しく自ずから興味を感じ、ものの4時間程度で読み終えたことに驚きを感じている。そして読み終えた後、余韻に浸るでもなくなぜか高校の尊敬する国語の先生の教示を思い出していた。先生はよく、「本を読み解く際にはエロスを感じよ」と説いていた。彼によるとエロスとは共感のことであり、共感がないと、内容を真に理解できずに終わる愚者の道を辿るであろうと教わった。高校の頃は、先生の言葉を無邪気に、完全に信用していたが、今となっては違っているようである。人間失格の葉ちゃんと全くといっても差し支え無い程に似ていると感じてしまったのだ。だからこそ短時間で読み終えてしまったのだろう。短時間ではない、内容を正確に理解しているのかという批判が聞こえそうだが、今はそれに重点をおく必要が無い。そもそも葉ちゃんとはどういった人物か簡単にいうと、与太者であり、現在の流行で表すと社会不適合者といった形容があてはまる。これは彼が善悪で言う悪に分類するという批判じみたことをするものではなく、今の世間的に当てはまる言い回しをしているだけである。(此の世の中は当時の世の中と比べて定義しやすく、想像も易いものであるから後者の表現と捉えたほうがよい。)彼でいう酒は私のスロット、ゲームに逃避することであり、女は女(幸か不幸か彼ほど酷くは無いのだが)、金も同じような境遇である。私自身も世間から浮いた存在と思っており、人間というものを理解できずにいる。コミュニケーションに障害が在るという低俗な話題は省くが、物心ついた時から生じていた違和感はまさに道化であったと確信した。よく友達の話で笑いを生じる話をしてはいるが、心底から笑みをこぼせたのは指で数えられるものしかないであろう。愛想よくし、道化を演じていることにすぎない。大学に入り、この道化が自然に出るようになっており、自分でも忘れるほど自然にでていた。しかし、今日、私は太宰治によって現実へと落とされたのである。今まで否応なく読んだことのあるもののかからここまでエロスを感じたのは初めてだった。それは満足を含むものであり、またどぶ川に叩き落されさらに踏みつけられたものであった。これほどの絶望はないだろう。今まで感じた絶望より心の芯に傷を残すものである。これほど共感を恨めしく感じたこともない。私とかいて人間失格であると読まれているような心地だ。エロスを感じることは良いことであると思っていたので最初は戸惑った。たしかに、時を忘却し読み進めている間は意気揚々としていただろう。今の私は完全に浮いている。今までマイナスへの共感は勿論存在したのだが、人間失格へそれは全くの別の物である。葉ちゃんと同じ結末になることを予想すると震撼して止まない。
 余談だが、人間は全員道化を演じているのではないだろうか。
スポンサーサイト

コメント

管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 人事を尽くして天命を待つのである. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。